因縁噺 - 医療法人金剛|ウェブサイト

アフリカ原住民の言い伝えでは、昔、ヒトとボノボは、同じものであり、アフリカの森で仲良く暮らしていたが、ある時、

①コンゴの森を後に

 アフリカ原住民の言い伝えでは、昔、ヒトとボノボは、同じものであり、アフリカの森で仲良く暮らしていたが、ある時、二つは別れ別れになって、別の道を歩んだのだと言う。ボノボは、森にとどまって裸で生活することを選び、ヒトは、森を出て、やがて、衣服を身に付ける生活に入ったのだと言う。ボノボの知能は高く、穏やかな種族であり、仲間同士の友好を深めるために、盛んにセックスをする習慣があると言う。

 ヒトは、まず南に向かった。アンゴラからナミビアの灌木や、草の生えている乾燥地帯に居住し、または、移動するうちに、起立歩行が出来るようになり、採集経済の中で、手先も器用になっていったようである。この地帯にとどまったヒトは、今のブッシュマンやホッテントットとして残存しており、人類の系統樹の中では、最も他のヒト族と遺伝学的にかけ離れた存在である。ヒトは更に南へ向かい、南アフリカに壁画を残した。この壁画時代のヒトを以って、ヒトを定義する三大特徴が言われている。

 ヒトは更に、東アフリカを北上し、エチオピア北東部のハダール村やアワッシュ川下流域あたりで、アファール猿人として多数の人骨化石が発見されている。ビートルズの曲から名付けられた「ルーシー」が、その代表的存在である。アフリカ大陸が縦に割れて離れようとしている大地溝帯の気候的特色により、アファール・デプレッションは、温暖で、ヒトがしばらく安住の地とするのにふさわしかったのであろう。280万年前にジャワ原人、50万年前に北京原人、約23万年前にネアンデルタール人、20~19万年前にホモ・サピエンスが現れた。ハイデルベルク人から進化したホモ・サピエンス・イダルトゥは、ネグロイドの祖としてアフリカ全土に広がった。20~12万年前にミトコンドリアイブが出現したと計算されており、これは、ホモ・サピエンスの出現時期にほぼ一致する。

 一方、父親から息子にのみ伝わるY染色体を遡れば、Y染色体アダムと呼ばれる存在があり、これはほぼ6万年前とされている。ヒトは、アフリカ大陸から他の大陸への移動を何度か試みたと思われるが、10万年以上前に、移動した人々は、ほとんど絶滅したと考えられている。この絶滅の原因については推測されているだけで、理由は分かっていない。約6万年前からヒトの他の大陸への移動は成功したと思われ、まず、中東から中央アジア方面へ進出したと言われる。ジャワ原人の子孫は、フローレス島という狭い環境の中で矮人化した化石を残しているとされている。

 ネアンデルタール人は、ヨーロッパ全域に広がっていたが、発声器官が不十分だったために、生存競争に劣り、イベリア半島を最後に絶滅したと言われる。「エイラ」という表題の本では、優しいネアンデルタール族に育てられたクロマニヨンの娘の物語が書かれている。恐らく、移動による絶滅が原因で激減したヒトは、遺伝的浮動でその後の進化をしていくことになる。次に、ヒトが安住したと思われるのは、コーカサスである。しばらくしてヒトは、また、何波にも分かれて、繰り返し世界各地に移動して行くことになる。ヨーロッパへと移動して、イベリア半島まで行き、ラスコーの壁画を残したクロマニヨンもいた。今も、バスク地方の人は、クロマニヨンの直接の子孫であると信じて主張している。

 約5万年前、インドシナ半島に達した一群は、4万年前にオーストラリア大陸に着いた。今のアボリジニである。北ユーラシアを東に進んだ一群は、バイカル湖の東で、ブリアードモンゴルとしてとどまり、更に進んだ人々は凍った日本海を渡って、日本に到着した。カムチャツカ半島を通って、米大陸に渡ったモンゴロイドは、カナダ-アメリカの国境付近の雪と氷を乗り越えることが出来ず、約9千年間その地にとどまり、氷雪が解けるのを待って、米西岸を南下し、約1千年後にパナマまで達した。コーカサスで流行した疾病(成人T細胞白血病)を持ったまま、移動した人々は、今も日本の島嶼や山間僻地に、この病気を持って暮らしている。

 ヒトの移動は、なおも続く。大航海時代を経てホモ・サピエンス・イダルトゥの後裔であるネグロイド同士の人狩りが行われ、捕虜は、奴隷商人に売られて新大陸に運ばれた。北米に300万人、中南米に1300万人が運ばれたと言われる。こうして、米州では、原住アメリカ人とヨーロッパ人とアフリカからの奴隷との間で混血が進んだ。

 ヒトは、その後、産業革命を経て、工業技術を発展させ、世界を自由に往来できる交通機関を得た。ハイチの労働者が、コンゴの森に出稼ぎに行けたのも、このお陰であった。10万年以上前に、故郷を出発したヒトは、植民地支配者であるコーカソイドと奴隷として新大陸に運ばれたネグロイドの血を混じて、遂に、ボノボの住む地に戻ったのであった。だが、そこには、HIVウィルスが待ち構えており、ヒトは、HIVウィルスに遭遇することとなる。ヒトが、コンゴの森を旅立った時、既に、HIVウィルスとも関わっていたのかどうか知らないが、HIVウィルスは、この地で風土病として存続していた。

 ハイチ人と接触してからのHIVウィルスの動きはすばやく、わずか数年で世界中を席巻してしまった。初め、数年もすれば、ワクチンが出来ると考えていたが、このウィルスとヒトの関係は違っていた。今では、ヒトに果たして抗エイズ免疫をつくる能力があるや否やが心配されている。

②塩素VS酸素

 原始地球の大気は、塩素で満ちていた。藍藻類が発生し、そのうちに、塩素の代わりに酸素を発生するものが表れた。葉緑体の始まりである。塩素生物にとって酸素は有毒であったため、塩素生物は減退して行き、酸素は地球に充満するようになった。地表は、酸素生物の天下となり、塩素生物は土の中などで生きるようになったが、数度の大絶滅を経ても、この関係は変わらなかった。やがて、ヒトが現れ、工業化を達成し、塩素化合物をクーラーや冷蔵庫に用いるようになった。この塩素化合物が天に昇り、オゾン層に攻撃を仕掛け、オゾンホールを拡大させることとなった。酸素生物が支配してきた地球の歴史において、塩素側の反撃が初めて成り立ったと言える。今後、両者のせめぎ合いは、どうなるのであろうか。

 とりたてて、日本では、プラスチック製品を塩素で加工したために、自然にあるものを用いて、安全と考えていた製品が、ダイオキシンや塩素発生の元となり、特別被害が大きかった。日常生活の中で、海水や塩に馴染んだ感覚が、その元は塩素であり、毒ガスであると言う点をしっかり認識できていなかったために起きた悲劇であった。Cry

初出:松本市医師会報  2011(平成23年)12月号  第523号

<掲載日時 : 2011年12月09日>

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